更新日:令和5年10月18日
1957年 16ミリフィルム 46分
当時岩手県花巻で農学校の教師をしていた宮沢賢治は、明るい生き生きとした農村を築きたいと念願。農民たちに昼夜を分かたぬ指導にあたる一方、豊かな創作力で童話や詩などを次々と創り、農学校の生徒や農家の子どもたちの心に、明るい健康な夢をはぐくんでいった。
しかし封建的遺習の強い農民たちは彼の新しい農業技術を快く思わず、子どもたちさえも親の顔色をうかがって、賢治から遠ざかって行こうとするのだった……。
宮沢賢治の登場する映画は、これが初めて。
賢治の伝記映画化は、過去において何度も繰り返し企画されたが、遺族の強い意向により一度も陽の目を見ることができなかったのである。
しかし、遂に遺族の快い了解を得て、ここに初めて賢治の登場する映画「雨ニモマケズ」が実現した。
(解説文より抜粋)