更新日:平成25年12月16日/掲載日:平成25年11月19日
「戊辰戦役は政見の異同のみ」
戊辰戦争から50年を経た大正6年(1917)9月、盛岡の報恩寺で「戊辰戦争殉難者五十年祭」が催されました。当時、有力政党・政友会の総裁で次期首相と目される立場であった原敬は、盛岡藩が「賊軍」とされた屈辱の歴史へ決別の思いを込め、冒頭の一文を含む祭文を読み上げました。
慶応4年(1868)1月に京都で起きた鳥羽・伏見の戦いから、戊辰戦争は始まります。奥羽越列藩同盟に加わった盛岡藩は、同盟を脱退した秋田藩を攻めましたが、新政府軍の援助を得た秋田勢に敗れ、同年9月に降伏します。盛岡藩主席家老の楢山佐渡は、この責任を一身に負い、翌明治2年(1869)6月報恩寺にて切腹の形をもって処刑されました。このとき14歳だった原敬は、寺のそばにたたずみ、涙していたと伝えられています。
「賊軍」とされた盛岡藩は、明治維新後も苦難の道を歩みます。しかしこの逆境は、明治以降岩手県から原敬をはじめとする多くの逸材が輩出する源流ともなっていきました。
本展では、戊辰戦争勃発から盛岡藩参戦の経緯、戦闘の経過、戦後の状況を、関連人物に触れながら所蔵資料とともにご紹介します。郷土の歴史について改めて見直し、理解を深める機会となれば幸いです。