現在位置: トップページ > デジタルギャラリー
企画展「いわての歴史シリーズⅥ いわてに生きる③ 川をゆく」展示資料から、「イーハトーブ岩手電子図書館」・「デジタルライブラリーいわて」に収録されている資料をご紹介いたします。
盛岡藩主南部利剛の命により、盛岡藩士の江刺恒久が盛岡藩内の風土記を記したもので、郡ごとに村名、寺社、山川、温泉、城、関道について記されている。
江刺恒久∥著/大きさ:27×19㎝/10冊/自筆本
京都の医師・橘南谿(たちばななんけい)が記した『東西遊記』に倣い、寛政10年(1798)に白華(詳細不明、序文から盛岡藩の人であることが分かる)が、陸奥南部の名所古跡や社寺・温泉や古実・伝説などを図入りで紹介したもの。
白華∥撰/寛政10年(1798)/大きさ:25×17㎝/1冊
盛岡城下の案内記。各所を網羅しており、その由緒、起源など詳細に記述している。
星川正甫∥著/天保4年(1833)/大きさ:26×17㎝/1冊
藩政時代、黒沢尻河岸にあった、北上川舟航の基点ひらた所のひらた運行諸規則。運賃、役人への手当、舟の所用器財、舟の構造、所属大工などを記している。
大川又右衛門∥編・長沢覚右衛門∥増補/安永7年(1778)増補/大きさ:27×19㎝/1冊/自筆本
北上川を往航する船や運ばれた積荷などの輸送業務を取り扱っていた石巻の役所の規定書。運賃、積み替えの際の諸費用、石巻湊に詰めていた仙台藩役人への手当などが記されている。
大きさ:25×17㎝/1冊
盛岡藩士の漆戸茂樹が記した紀行記。上段には奥通(盛岡城下以北)の街道周辺の景観と名所旧跡を描き、下段には名所旧跡の由緒や縁起を記している。下巻を欠く。
漆戸茂樹∥著/大きさ:26×18cm/2冊
盛岡藩士の家に生まれた横川良助が、記した盛岡藩の記録。前編は『奥南旧指録』『盛岡砂子』『登曽草紙』などからの収録で、後編は藩の財政事情、百姓一揆、凶作など、後世に伝えるべき社会問題を取り上げている。
横川良助∥編/江戸後期/大きさ:23×16cm/44冊
城下盛岡と盛岡藩の主要湊の一つ宮古湊を結ぶ街道の普請図。ただし、宮古方面が欠損しており、盛岡城下上小路から現宮古市川井で終わっている。
大きさ:0.32×14.96m/一軸(巻子本)
城下盛岡と盛岡藩の主要湊の一つ宮古湊を結ぶ街道の普請図の完成図。書込みなどから、当図は天保以降に行われた改修の際の街道変更図面と見られている。
大きさ:0.3×13.94m/一軸(巻子本)
宝暦8年(1758)、牧庵鞭牛和尚の道普請の人足、難所十ヶ所について図入りで記述した覚書の控。元和元年(1615)に宮古湊が開かれ、それに伴い盛岡城下と「戸川=閉川(へがわ)」とも呼ばれた閉伊川河口を結ぶルートとして整備が始まったと考えられる。
宝暦年間/大きさ:16×42cm/1冊